スマッジの大きな夢
「どこか」を探して
スマッジには夢があります。でも、その夢にどう近づけばいいのかは、まだ分かりません。
「どこか」を探して旅に出るスマッジを追いかけましょう。思いがけない障害や予想外の助け、そして、ひときわ厄介な山にも出会います。
日本語で読んだスマッジの冒険を、英語版と一緒に楽しんでみましょう。 同じ最初の10章を英語でもオンラインで無料で読むことができます。
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もくじ
冒険はまだ続きます
オンライン版は第10章で終わりますが、スマッジの旅はまだ始まったばかりです。
日本語の完全版には、全30章とエピローグが収録されています。スマッジがついに「どこか」へたどり着くまで、一緒に旅を続けることができます。
スマッジの大きな夢
スマッジは夢の中で「シンメトリーの聖域」を見ました。
美しく、不思議で、どこか大切な場所です。
でも困ったことに、「どこか」は住所としてはあまり役に立ちません。
それでもスマッジは、愛犬ビスケットといっしょに聖域を探す旅へ出ます。道の途中では、へんてこなテストや道まちがい、不思議な助っ人、あやしいクッキー、自分の行き先を正確に知っている川、それから、どうにも道をゆずってくれないトレバーというヤギまで待ち受けています。
旅を続けるうちに、スマッジは夢を追いかけることが、いつも簡単とはかぎらないと気づきます。道が見えないこともあります。必要な助けが、思っていたものとはまったくちがう姿で現れることもあります。そして、最後の一歩を踏み出して初めて、次の一歩が見えることもあります。
ユーモアとぬくもり、そしてほのかな魔法に満ちた『スマッジの大きな夢――「どこか」を探して』は、想像力、友情、勇気、そして、まだ道がわからなくても進みつづけることを描いた冒険物語です。
好奇心いっぱいの旅、おかしな動物たち、不思議な場所、そして、どんなに大きな夢も小さな一歩から始まるという物語が好きな読者にぴったりです。
第10章
スマッジには無理?
ひとりでは、どうしても向き合えないこともある。
テザーは羽根をケースの前に置き、ひざの上で両手を組んだ。
「ルールは簡単。足の裏を、しっかりくすぐられる。いつでも止めていい」少し間を置いた。「でも、止めたら……失格」
スマッジは口を開いた。
「きみたちが本当に、心から、どうしても聖域へ行きたいのなら——言っているとおり、それがふたりにとって大切なのなら——何も問題はないはず。そうだろう?」
沈黙。
ひどく居心地の悪い沈黙だった。
スマッジは羽根を見た。ビスケットはクッションの奥へ、ほんの少し深くもぐりこんだ。
テザーは組んでいた手をほどき、羽根を持ち上げた。「さて」と、ついに言った。「どちらが受ける?」
スマッジはテザーを見た。テザーは羽根を見た。ビスケットはふたりを見て、この件には絶対に関わりたくないと思った。
「わかった、わかった」スマッジが言った。「ぼくがやる」
テザーは首をかしげた。「本当に?」
「もちろん」まるで自分の足が、くすぐりの効かない鋼鉄でできているかのように、自信たっぷりに答えた。
ビスケットはたいへん心配そうだった。それが完全なうそだと知っていたからだ。犬のしっぽでちょうどよく足をくすぐれば、スマッジなどすぐに逃げ出す。ビスケットは何度もやったことがある。とくに、ソファをひとりじめしたいときに。
それでもスマッジは靴下を脱ぎ、たいへんな儀式のように深く座って足を上げた。かなり不安ではあったものの、ビスケットも横へ座り、興味津々で、精いっぱい応援するつもりで見守った。
テザーは何も言わなかった。ただ羽根を持ち上げ、右手から左手へ、ゆっくり渡した。
まだ足に触れてもいないのに、スマッジは笑った。
最初は小さな笑み。次に、もう少し大きな笑み。やがて肩が揺れ始めた。
そして顔全体がくしゃりとつぶれ、とてつもなく大きな笑い声が止めようもなく飛び出した。「あはははは!」スマッジはおなかを抱え、クッションの上で横向きに丸まった。
「やめて、やめて」息を切らして言った。「むり——もうむり——」
テザーは羽根を下げた。「スマッジ」
「わかってる、わかってる——」スマッジは起き上がり、涙をぬぐって気持ちを整えた。「よし。準備できた。今度こそ本当に準備できた」
テザーはもう一度、羽根を上げた。
スマッジは一秒ほど耐えたあと、また笑い出した。
「やめて!」
「まだ始めていない」
「わかってる!」スマッジは唇をぎゅっと結んだ。「ただ——考えただけで。もうだめなんだ」
「スマッジ」テザーは責めるでもなく言った。「まだ実際には、一度もくすぐっていない。それはわかっているね」
スマッジは「うん」と言おうとしたが、笑いすぎてまともに答えられなかった。
「ほんの少しも」とテザーは続けた。
「わかってる」
「足に触れていないだけではない。今、羽根は」目の前で確かめられるように持ち上げた。「きみの足そのものから、一メートル近く離れている」
「それは知ってる」スマッジは今や両足を体の下へしまいこんで座っていた。
「やりたいんだ」スマッジは言った。それが本心なのは、はっきりしていた。顔はまじめで、心からそう願っていた。「本当に、本当に、心の底からやりたい。ただ……」
言葉を止め、ビスケットを見た。それは、もしビスケットがお菓子のビスケットだったなら、今から食べられるとわかる種類の目つきだった。
ビスケットは最初、意味がわからなかった。首をかしげる。スマッジを見る。羽根を見る。もう一度スマッジを見る。
そして、理解した。
スマッジは笑った。とんでもないお願いをする気だと、自分でもよくわかっている者の、あたたかく希望に満ちた笑顔だった。横の椅子をやさしくぽんぽんたたいた。
「ビスケット、ちょっとだけ……ここに座ってみたら? 楽にしてさ。ただ——」
ビスケットは、もう後ずさりしていた。
「おいで」スマッジはたちまち、散歩やおやつなど、本当にすばらしいもののためだけに使う特別な声へ切り替えた。
「いい子だ。さすがビスケット。ただの椅子だよ。いい椅子。やさしい椅子」
ありがとうございます
無料公開分はここまでです。
でも、スマッジとビスケットの冒険はまだ始まったばかりです。これから、さらに多くの試練や道まちがい、あやしい旅人たちが待っています。そしてふたりは、まだシンメトリーの聖域へたどり着いていません。
『スマッジの大きな夢』について詳しく知り、完全版の情報やEPUBの案内を見るには、下の本のページをご覧ください。
第9章
テスト
小さな箱にも、こわいものは入る。
翌朝、スマッジとビスケットはベッドの上にだらりと寝そべり、ふたりそろって考え深げに天井を見つめていた。
その見つめ方からすると、頭の中では何か重要なことが起きているようだった。重大で、重みがあって、ひょっとすると世界を変えるほどのこと。偉大な決断を生み、運命を形作り、歴史を築くような、深く集中した思考である。
スマッジは眉間にしわを寄せた。ビスケットも、犬がものすごく集中するときのやり方で眉間にしわを寄せた。
「朝ごはん、ソーセージだといいな」ようやくスマッジが言った。
ビスケットはしっぽを振った。それなら大いに結構、と言っているようだった。
ふたりはもう一度静かになり、どんなソーセージがいいかを真剣に考えた。スマッジは太めのポークソーセージで、端が少しだけカリッとしているものが好きだった。ビスケットのほうは、好みにうるさくない。すべてのソーセージを平等に愛していた。
ソーセージについての沈黙が、しばらく続いた。
そこへ、ゆっくり、きっちりとしたノックの音がした。
もう一度。そして三度目。しっかりした三回の音が、きっちり同じ間をあけて響いた。
スマッジとビスケットは固まった。顔を見合わせ、それからドアを見た。
「出てよ」とスマッジ。
ビスケットは、どう見ても「スマッジが出ろ」と身ぶりで返した。
ふたりはさらに二秒ほど、ドアを見つめた。
「どうぞ!」スマッジが呼んだ。
「ワン!」ビスケットも付け加えた。
ドアがきしみ、テザーが入ってきた。
スマッジはすぐに、何かあると感じた。テザーは昨日よりさらに静かで、ずっと真剣だった。
まったく笑っていなかった。わきには、小さくて飾りのない箱を抱えていた。薄く平たく、箱というよりケースに近い。
「よく眠れた?」ようやくテザーが聞いた。
スマッジとビスケットはうなずいた。
テザーも小さくうなずき、ゆっくり部屋を横切った。ケースを小さなテーブルへ注意深く置き、ふたりの向かいに座った。
「それで」と言った。「きみたちは、シンメトリーの聖域へ行きたい」
質問ではなかったが、スマッジは答えた。
「うん」少し背筋を伸ばして言った。
「よろしい。自分が何を求めているかは、わかっている。求めるものがわかっているなら、私は手伝える」
スマッジの顔がすぐに明るくなった。ビスケットのしっぽも振れ始めた。
「ただし」テザーは静かに付け足した。「それを証明できればね」
「何を証明するの?」
「本当にほしいということ。本当に、本当にほしいということ」
スマッジは目をぱちぱちさせた。「今、ほしいって言ったよ」
「そうだね」テザーは落ち着いて答え、ケースの上へ軽く手を置いた。「でも、言葉は簡単だ」
スマッジは眉をひそめた。ビスケットのしっぽがゆっくりになった。
「本当にほしいんだ」スマッジはもう一度言い張った。
ビスケットも、力強い「ワン!」で主張を支えた。
テザーは、まじめな顔でもう一度うなずいた。「なら、これは簡単だ」ケースをふたりのほうへ静かに押した。「靴下を脱いで」
スマッジは止まった。「え……何て?」
「靴下を脱ぐ。楽に座る。足を上げる」
ビスケットは首をかしげた。スマッジの眉間のしわは、さらに深くなった。さっぱりわからない。
「箱の中には何が入ってるの?」
テザーは答えなかった。ケースをふたりへ向け、注意深く開いた。
スマッジが見た。ビスケットも見た。ふたりで見た。
中には羽根が一本、入っていた。
どこから見ても、ごく普通の羽根だった。
スマッジの顔から血の気が引いた。
「まさか」と言った。
テザーは羽根を取り上げ、二本の指で軽くつまんだ。
「そんなことできないよ」スマッジは言った。「いや、その、ほかの方法があるはずだ。何でもいい。別のことをする。何かに登る。何かを飛び越える。ぼくは——ビスケット、ちょっと助けて——」
ビスケットはとっくにスマッジを見捨て、クッションの後ろに隠れていた。
テザーの顔に、小さないたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「これは」と言った。「くすぐりテストだ」
第8章
着地
やり直すって、気持ちいい。
スマッジは目をぱちぱちさせた。胸の中にしまっていた本当のことが、さっき全部飛び出してしまい、頭がぼんやりしていた。
「ぼくたちは……ええと……聖域を探してるんだ」やがて言った。「ほら、ありえない形とか、光る幾何学とか、そういうものがある場所。そこを見つけたい」
テザーの表情がやわらいだ。ほんのわずかだったが、スマッジにはわかった。
「なるほど」静かに言った。「それが、きみの夢なんだね」
スマッジは両手を上へ投げ出した——今は逆さまなので、本当は下へ投げ出したのだが、細かいことは気にしないでおこう。
「知ってるの!?」
テザーは質問を無視し、ふたりのそばまで歩いてくると、一本のロープへ手を伸ばした。そして、ごく軽く、実に美しく引いた。
ただし、スマッジとビスケットの地上への戻り方は、まるで美しくなかった。それぞれ「うっ」と「ワンッ」という音を立てて落ち、ビスケットが上になった。
「まあ」とテザーは言った。「少なくとも、これでやり直せる。まっさらになった。そうでなければ、どこまで行っても遠くへは進めなかっただろうね」
スマッジは後頭部をさすり、眉をひそめた。「それで……これからどうなるの?」
テザーはドアへ向いた。「今度? 寝る」きれいに整えられたベッドと、小さな犬用のかごを指した。
「戸棚に普通のクッキーがある。好きに食べていい。朝になったら……」振り返って、少し間を置いた。「朝になったら、何ができるか考えよう」
そう言って、テザーは出ていった。
スマッジはその背中を見送り、ほんの少し希望がわいてきた。
そのころビスケットは、もう戸棚の中にいた。
反省の色は、まったくなかった。
第7章
本当のこと
隠しごとはしない。
スマッジはぶら下がった。ビスケットもぶら下がった。ふたりは、どうしたらいいのかわからなくなったクリスマスツリーの飾りのように、ゆっくり、悲しげに、そろって揺れていた。
「まあ」と、ようやくスマッジが言った。「これは初めてだ」
逆さまのまま、ふたりは困りきった顔で見つめ合った。「うーん、どうすれば——」
「ほんとのことクッキーは、おいしかった?」声が割りこんだ。
ひとりの人物が、落ち着いた足どりで部屋の中央へ入ってきた。
端のほつれた、つぎはぎだらけのコートを着て、腰のベルトにはいろいろな道具を下げていた。きれいに巻かれたロープ、何に使うのかわからない器具、そのほか何でもそろっている。表情は読み取れなかったが、ほんの少し面白がっているようにも見えた。
「テザー」と名乗り、両手をポケットへ入れた。「結び目にくわしい者が必要そうだね」
スマッジは息をのんだ。「クッキーのわなを仕かけたのは、きみだな!」
ビスケットも、逆さまのまま怒りの「ワン!」を一つ。
「私は何も仕かけていない」テザーは言った。「ロープを少し置いておいただけ」あごでふたりを示した。「自分たちで自分たちをつかまえたんだよ」
もっともだった。というより、完全にそのとおりだった。ふたりは勝手に家へ入り、勝手にクッキーを食べたのだ。
テザーは片方の眉を上げた。「まったく。ほんとのことクッキーを一皿置いておくと、いろんな客が入りこんでくるものだ」
ほんとのことクッキー? とスマッジは思った。どうして何度もそう呼ぶんだ?
そのとき、スマッジの中で妙なことが起きた。
むずむずする。胸の中が、ぶくぶくする。のどが、しゅわしゅわする。
まずい。
これはだめだ。
これだけは、絶対にだめだ。
「ぼ、ぼく……告白することがある」スマッジは、自分でも止められずに口走った。
あわてて両手で口をふさいだ。
テザーは笑った。「そう?」
スマッジは必死に首を振った。止めようとした。別のものを考えようとした。雲、三角形、ブロッコリー。何でもいい。
けれど言葉は、花火のように口から飛び出した。
「最後のチーズサンドイッチを食べたのはぼくなのに、ビスケットのせいにしたことがある!」
ビスケットが、裏切られた怒りの声でほえた。
「ごめん!」スマッジは泣きそうな声で叫んだ。「あまりにおいしくて、お母さんが怒ったらあわてちゃったんだ!」
ビスケットは、あまりの衝撃に逆さまのまま大きく揺れた。
「それに、それに、それに——」スマッジは息をつぎ、どうにか止めようとして、やっぱり止められなかった。「ぼくは、たいてい何をしているのか自分でもよくわかってない!」
「なるほど」テザーは楽しそうに言った。「ほかには?」
「去年まで暗いところがこわかった!」
「『ポリゴン』の意味を知ってるふりをすることがある!」
「計画なんかないのに、ビスケットに『計画がある』って言ったことがある!」
また一つ、本当のことが転がり出た。もう一つ。そのまた一つ。スマッジが奥にしまいこんでいた、小さなことが全部。
ビスケットのクッキーが効き始めるまでには、少し時間がかかった。けれど、ちゃんと効いた。
「ワン!」
(訳すと、「さっき魔法を感じたわけじゃない。クッキーのにおいがしただけ!」)
スマッジは目をむいた。「やっぱり!」
テザーが近づいた。「そう。それでいい。全部出してしまいな」
そして、ふたりは全部出した。
何時間も続いたように思えた。本当のことが、止められない告白の滝になって、ふたりから流れ出した。逆さまのまま保てるかぎりの品位をどうにか保ちながら、今まで声に出したことのないことを全部話した。告白するたび、ロープが少しずつ、静かにゆるんでいることには気づかなかった。
スマッジは、今までにした小さないたずらを一つ残らず白状した。最後のケーキをだれが食べたか知らないと言ったこと(食べたのはスマッジ)。泥の足あとをビスケットのせいにしたこと(これもスマッジ)。お母さんのお気に入りのペンがどこへ行ったか知らないふりをしたこと(なんと、そのペンは今もポケットに入っていた)。ビスケットのいびきは気にならないと言ったこと(本当は気になった)。
クッキーの力には逆らえず、ビスケットも、キャンキャン、くうん、ワンワンと、自分の告白をした。かじった靴。庭にある、どう見ても自分が掘ったあやしい穴。それから、スマッジがお菓子をどこへ隠すか、いつも知っていたこと。スマッジに「うまく隠せている」と思わせていただけだった。
すべてが終わるころには、ふたりはぬれたふきんのようにぶら下がっていた。心は絞り切られていたが、不思議と軽くなっていた。
もう秘密が残っていないことを確かめ、テザーは満足そうにうなずいた。
「さて」と言った。「ここで何をしているのか、話してもらおうか」
第6章
クッキー
何かがおかしいと感じたら、その感じに耳をすませ。
家の中は、不思議なほど完璧だった。すばらしくいいにおいがし、暖炉では気持ちのよい火がぱちぱち燃えていた。部屋の真ん中には、ふたり分の用意がされたテーブルがある。椅子が二つ。カップが二つ。皿が二つ。三つでもなく、一つでもない。二つだ。そしてテーブルの中央には、焼きたてで、あたたかく、金色に輝くクッキーが山になっていた。
「だれか住んでいるにちがいない」スマッジは結論を出した。
当然ながら、部屋は返事をしなかった。
ビスケットはすでに片方の椅子へきちんと座り、礼儀正しくしっぽを振って、出してもらうのを待っていた。お察しのとおり、ビスケットはクッキーにたいへん弱い。
「ビスケット」とスマッジは注意した。「だめだよ。本当に。ここが何なのかも——」
そのとき、においがスマッジにも届いた。
あたたかい。甘い。少しだけ魔法みたいだ。
「ああ……」スマッジはつぶやいた。「まずい。ものすごくおいしそうだ」
おなかが大きな音で鳴った。「ここからの決断は、わたしにお任せください」とでも言うように。
「わかったよ」スマッジはため息をつき、もう一つの椅子へ上がった。「一つだけ。ほんの少し味を見るだけ。くずを一個だけ」
スマッジが手を伸ばした。ビスケットも前足を伸ばした。指と前足が、あたたかなクッキーに同時に触れた。
ふたりはクッキーを持ち上げ、目を見合わせ、ゆっくりとかじった。
その瞬間——
ヒュンッ!
床が落ちた。椅子が消えた。テーブルが紙のように折れた。
ロープと結び目のめちゃくちゃな渦に巻きこまれながら、スマッジは叫ぼうとした。「これは最悪の決断だった!」
けれど、口から出たのは——
「うわああああああっ!」
上へ飛び、下へ落ち、そして——
バシン!
すべてが止まった。
スマッジは足首をつられ、逆さまになってゆらゆら揺れていた。横ではビスケットも、小さな四本の足をきれいな結び目でまとめられ、困り顔の毛むくじゃらの振り子のように揺れている。
スマッジは、口の中のクッキーをのみこみ、目をぱちぱちさせた。「ビスケット……?」
ビスケットは、恥ずかしそうに小さくくうんと鳴いた。
ふたりは暴れなかった。ちょっと悪いことをしてしまい、しかも自分でもよくわかっている者だけが見せる、静かなあきらめとともにぶら下がっていた。これは少なくとも半分は——いや、全部——自分たちのせいだった。
第5章
いけないこと
何かがおかしいと感じるのには、理由がある。
「行こう!」スマッジは急に元気を取り戻し、家へ向かって走り出した。ビスケットも鼻をひくひくさせながら横を走る。数歩進むたび、ビスケットは後ろの寒さと暗闇を振り返った。あんな場所にいるより、あたたかそうな家のほうがいい。いったい何が起きるというのだろう?
近くで見ると、家はさらにすてきだった。窓は二つのきれいな四角形に光り、屋根は、スマッジが思わず見とれるほど気持ちのよい正確な角度で傾いていた。何もかもが居心地よく、歓迎してくれているようで……それでいて、だれかが細かく考えて描いた絵のように、妙に整いすぎていた。
一見したところ、変わったものは何もない。ただ、家のあちこちに細いひもや小さなロープがかけられていた。きれいな輪、整った結び目、職人が作ったような編みひも。なぜかはわからなかったが、それらのせいで家全体が……きっちりして見えた。
「当たってくだけろだ」スマッジはそう言って、ドアをたたいた。
返事はない。
今度はもっと強くたたいた。それでも何も聞こえない。だれもいないようだった。
ふたりが立っているあいだも、風は木々の間でうなり続けた。ビスケットは小さく鳴き、右の前足から左の前足へ体重を移した。スマッジのおなかは、こんなときに限って、ぐうう、と役に立たない音を立てた。
雨は降り続けた。風も吹き続けた。外に立っていたい気持ちだけは、まったく続かなかった。
スマッジは慎重に選択肢を考えた。ひとつを除き、どれを選んでも寒いままだった。
ビスケットの顔には、はっきり書いてあった。あたたかそうだし、魔法っぽいし、今はそれだけわかれば十分。
スマッジは希望をこめて深く息を吸い、取っ手に手をかけた。
ギィィィィ……。
ドアは、ふたりを待っていたかのように、ひとりでに、ゆっくりとなめらかに開いた。
スマッジとビスケットは顔を見合わせた。とても特別な顔だった。「これは、ものすごく悪い考えかもしれない」と言う顔。
同時に、「でも寒いし、おなかはすいたし、サンドイッチもないし……」と言う顔でもあった。
スマッジの胸に小さな不安がひらりと動いた。けれど、戸口から流れ出すあたたかな空気が、やわらかな毛布のように体を包んだ。それに、ほんのかすかに、甘いもののにおいがした。
入ってはいけない。ふたりともわかっていた。本当に、入ってはいけない……それでも、入った。
第4章
寒い!
探しているものしか、見つからない。
その日は、すばらしい始まりだった。いや、完璧な始まりだった。スマッジとビスケットは、ついに本当の旅へ出たのだ。ぱたぱた鳴る足音、どしどし鳴る靴音。ふたりは胸を張って進んだ。空は明るく、風はあたたかく、目の前の道は、ふたりのために特別に敷かれたように伸びていた。
「もう、ぼくたちを止められるものは何もない」スマッジは誇らしく言った。
何もかもが正しく感じられた。何もかもが簡単だった。何もかもが……まあ、とにかく美しかった。
けれど旅というものは、ときどき妙な変わり方をする。
まず、あたたかい風が涼しくなった。次に、その涼しさが寒さへ変わった。そして寒さは、ものすごい寒さになった。
小さな雲が空へこっそり忍びこみ、そのあとから大きな灰色の雲がぞろぞろやってきた。世界から少しずつ色が消えていった。スマッジのわくわくまで暗くなったほどだ。いつでも全力でわくわくしようとしているスマッジにしては、かなりの出来事だった。
ビスケットが震え始めた。スマッジも震えた。おなかが鳴り、足の指まで冷たくなった。それまで役に立っていたリュックは、今や心配になるほど空っぽだった。
ふたりは、寒さと暗さと何もない場所の真ん中に並んで立った。そのときになってようやく、スマッジは思った。ひょっとして、この旅はあまり上手に計画していなかったのではないか。
「もっとひどくなることだってある」少しでも気分をよくしようと、スマッジは自分に言い聞かせた。
そのとおりだった。雨が降り始めた。
「慌てるな」そう言った瞬間、スマッジは慌てた。「うわあっ——慌てるな! ビスケット、何があっても絶対に慌てるんじゃない!」
両手を空へ上げ、その場を小さくぐるぐる走りながら叫んだ。「だいじょうぶ! ぜんぜん問題ない!」
ビスケットはまったく慌てなかった。見事なものだった。
そして、もう何もかもだめだと思ったそのとき、スマッジは来た道を振り返り……固まった。
家がある。
ちゃんとした家が。
窓からは、あたたかな金色の光があふれていた。小さな煙突からは、完璧な形の煙がふわりとのぼっている。中に、ぽかぽかの火があることを知らせる、落ち着いた煙だ。その家は、ずっとそこで待っていたかのように静かに立っていた。最初から、そこにあったかのように。
「ビスケット……あれ、さっきからあった?」
ビスケットは首をかしげた。自信はなさそうだった。
スマッジにも自信はなかった。家一軒のすぐ横を通っておいて、どうして気づかなかったのだろう?
そのときは、家を探していなかったからだ。
でも今はちがう。今のふたりなら、見落とすはずがなかった。
第3章
旅のノート
スマッジとビスケットは、もう七時間は歩いたような気がしていた。ひょっとすると八時間。いや、九時間かもしれない。
スマッジは大げさに額をぬぐった。「これは」と宣言した。「旅というものが始まって以来、だれも経験したことのない、もっとも長い旅だ」
ビスケットは、「大げさにするな」と言いたげな目で見た。
ふたりの家は、まだ後ろにはっきり見えていた。
窓辺にはお母さんが立ち、紅茶のカップを手にふたりを見守っていた。勇敢な小さな冒険家を、たいへん誇らしく思っているようだ……その冒険家は今、家から十九歩のところにいた。スマッジは手を振った。ビスケットはしっぽを振った。お母さんも手を振り返した。
スマッジはせき払いをした。「そろそろ……ええと……短い休憩を取るべきかもしれない。最初から無理をしすぎるのはよくないだろ?」
ビスケットは目をくるりとさせたが、どすんと座って賛成を示した。
スマッジは草の上に腰を下ろし、リュックを前へ回した。「お母さんが何を入れてくれたか見よう」
出てきたのはサンドイッチだった。きれいに包まれた二つの傑作。三角形で、左右対称で、耳まで丁寧に切り落としてある。お母さんは、スマッジが形のきれいにそろったものに目がないことを知っていた。
「あっ!」スマッジが声を上げた。「これは何だ?」
おやつの下に、小さな包みが隠れていた。スマッジはあらゆる角度から調べ、それから包み紙をびりびり破った。
中には、濃い青色の小さくて丈夫なノートが入っていた。表紙には、うっすらと幾何学模様が型押しされている。中には折りたたまれた手紙が、きちんとはさまっていた。
「冒険のために。道で見つけたことを、何でも記録しておいてね。
——お母さん」
うれしい気持ちはあった。けれど、スマッジはそれほど感激しなかった。ノートをもらえば、当然、何かを書かなければならない。しかも長くて、言葉の多い文章を。書くことは、スマッジにとって最大の宿敵だった。
ぱたん、とノートを閉じた。
「まあ、完璧じゃなくてもいいよね。何とかやってみよう」
ノートを横へ置き、スマッジはサンドイッチに取りかかった。おいしかった。おいしすぎた。全部いっぺんに食べてはいけないと、スマッジはわかっていた。本当によくわかっていた。お母さんは、五分より長く持たせるつもりで作ったに決まっている。
けれど、サンドイッチはあまりに左右対称だった。あまりに完璧だった。そして、そこにあった。
「半分は取っておく」スマッジは勇敢に宣言した。
慎重にひと口。もうひと口。次は、あまり慎重ではないひと口。
気づけば、サンドイッチは二つとも、おやつも半分ほど、消えていた。
ビスケットは信じられないという顔で見つめた。途中まで振っていたしっぽが止まった。
スマッジは肩をすくめた。
ビスケットは鼻から、ふん、と息を出した。犬の世界で広く知られている、「ぼくのぶんは?」という合図だった。
第2章
決断
ビスケットがスマッジを見上げた。スマッジがビスケットを見下ろした。いつの間にか、「どちらがより何もわかっていないか」という勝負になっていた。接戦だった。ものすごい接戦だったが、スマッジが勝った。(長年の経験がものを言った。)
「よし」と、スマッジは口のまわりのくずを払って言った。「ひとつだけ確かなことがある……シンメトリーの聖域は、ここにはない」
「ワン!」ビスケットも全面的に同意した。
「だったら、とにかく出発すればいいんだな」
「ワン!」ビスケットは、もう一度同意した。
「どんな旅も、最初の一歩から始まる!」スマッジはそう宣言すると、これ以上ないほど大げさに片足を前へ出し、庭の小道を堂々と歩き始めた。ビスケットも後ろからついてくる。しっぽも希望も、高く上がっていた。
簡単じゃないか、とスマッジは思った——そのときまでは。
ふたりは庭の門に着き、外へ出た。そこで、むずかしい問題が現れた。
左か……右か?
スマッジはぴたりと止まり、あごをとんとん叩いた。左は、いかにも正しそうだった。きちんとしている。ちゃんとした決断——つまり大人らしい決断をする人なら、選びそうな方向だった。
そう、それがぼくだ、とスマッジは誇らしく思った。大人のスマッジだ。
「左が正解に見える」自信たっぷりに言ったあと、左がどうして「正しい」ことになるのか少しだけ気になったが、考えないことにした。
こうしてスマッジは、たいへん真剣な顔で左へ曲がった。
ところが、ビスケットは曲がらなかった。
スマッジは数歩進み、肩越しに振り返った。「早くおいで、ビスケット! 左へ行くんだ! 左が正しい!」
ビスケットは、まるで「正しくないのはスマッジのほうだ」と言いたげに見つめ返し、その場に小さな毛むくじゃらの像のように踏ん張った。そしてスマッジに背を向け、右の道を、犬らしい深い真剣さでじっと見つめた。
スマッジはさらに数歩進んだ。「ビスケット」と、もう一度呼んだ。「こっちだって……」
ビスケットは一ミリも動かなかった。「動く」の反対を説明するなら、これ以上ない見本だった。
これは実におかしい。ビスケットはいつも、どこへでもスマッジについてきた。戸棚の中にも、テーブルの下にも、一度など資源ごみの箱の中にまで(ふたりとも危うく回収されるところだった)。それなのに今は、まったく来る気がない。
スマッジは目を細めた。まずビスケットを見て、次に右の道を見た。特別なところは何もなさそうだった。ただの道だ。ごく普通の道。運命を示す光る看板も、魔法のチョウも、何もない。
スマッジはため息をついた。「わかったよ。そっちへ行く。でも、かわいくて大好きだからね」
そうして、くるりと向きを変え、ビスケットのほうへ——そしてビスケットの横を通り過ぎ——右の道へ進んだ。
すると胸の奥で、かすかな感覚がひらりと動いた。うーん……右って、たしかにちょっと正しい感じがするかも、とスマッジは思った。頭の中で答えを出そうと忙しくしていたせいで、右の道がどれほど美しいか、さっきまでは気づかなかったのだ。木々は少し緑が濃く、花は少し明るく見え、頭上には親しげな青空が広がっていた。
左の道を振り返ると、そちらはもう雨が降りそうに見えた。
スマッジは背筋を伸ばし、最初から自分の計画だったふりをした。「うむ、まあ」と大物らしく言った。「右が正しいことは、ずっとわかっていた。右なんだから、正しくないわけがない」
後ろを見ると、ビスケットはすでに自信たっぷりについてきていた。声には出さず、勝ち誇っている。スマッジはまた、ビスケットには「ワン」では説明できない秘密の感覚があるのではないかと思った。あるいは、ただ秘密にしているだけなのかもしれない。どちらなのかは、よくわからなかった。
第1章
夢
スマッジには使命があった。そうとも。スマッジはいよいよ、とんでもなく遠くへ行くのだ。世界はまるごと自分のもの——もちろん、ビスケットのものでもある。ビスケットはスマッジの犬で、重大発表には必ず自分の名前も入れるべきだと考えていた。もう、ふたりを止められるものなど何もない。冒険は始まった。運命の風が呼んでいる。道は目の前に開かれている。
——まあ、そんな感じだった。
いや……正確には、まだだった。
スマッジとビスケットは、家の玄関先に座ったままだった。どこへも行っていない。ほんの一歩さえ進んでいない。それどころか、スマッジはドアにもたれているので、さっきより少し後ろへ下がったと言えなくもなかった。ビスケットは朝ごはんのビスケットさえまだ食べ終えていない——スマッジのぶんは、もちろんとっくになくなっていたけれど。
でも、もうすぐだ。もうすぐふたりは、本当にすごい場所へ行く。大きくて、すばらしくて、魔法のような場所。考えただけでスマッジの胸がはじけそうになる場所へ。ひとつだけ問題があるとすれば、その場所がどこなのか、ふたりにはよくわかっていなかった。正確には。きっちり言えば。地図のどの辺なのかは、まったく。
「行き先がわかっているのに、わかっていないって、どういうこと?」と思ったかもしれない。では、説明しよう。
スマッジは、あるものを見たのだ。夢の中で。ただの夢ではない。あの夢の中で。
それは、ひとつの場所だった。まぼろしのようで……家のようで、家ではない場所。シンメトリーの聖域。
聖域そのものが息をして、きらめいているように見えた。光と命が、完璧なつり合いを保っていた。高いアーチとどっしりした柱が、静かな調和の中に立っている。丸い窓は月のように光を受け、壁には模様がくるくると広がっていた。円の中の円。いつまでも回りつづけるような渦巻き。それに、スマッジがまだ名前も知らない、光る形の数々。
スマッジは、生まれてから一度もそんなものを見たことがなかった。本の中にも、森の中にも、雲の形の中にさえなかった(スマッジは雲を見ることにかけては、かなりの専門家だった)。
ただし、あの夢には道順がついていなかった。地図もない。案内人もいない。「神秘の神殿はこちら」と書かれた標識もない。スマッジにあったのは、胸の奥の感覚だけだった。あまりに大きく、あまりに明るくて、あたたかな日差しのように胸いっぱいに広がる感覚。
そこへ行かなければならない。そして、自分は必ずたどり着く。スマッジには、それがわかっていた。見えていたのだ。聖域の階段に、自分とビスケットが並んで座っている姿が。目の前にあるようにはっきりと——目ではなく、心と想像の中で。
スマッジには、それで十分だった。十分すぎるほどだった。
